春
砂鉄川の清流がぬるむ。アユやコイが川面にはね、渓谷をわたる風が頬にやさしい春の訪れ。やがて、新緑におおわれた絶壁に穂をさげる藤の花。淡い紫色がひときわ可憐で美しい。 |
夏
両岸の木々がいよいよ緑を増し、蒼く染まるげいびの流れ。おおいかぶさるような木々の下を小舟で行けば、ひんやりとした涼風が心地よい。夕暮れになると、ヒグラシの声が峡谷にこだまする。 |
秋
みちのくの夏は短く、げいびにもはや秋がやってくる。峡谷が色づきだし、そして豪華絢爛な錦の屏風となる。とりわけもみじが美しく、あちことから聞こえる河鹿の鳴き声が旅情をかきたてる。
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冬
訪れる人もまばらな峡谷は水鳥たちの天国。岩壁の松が雪を戴き、さながら水墨画の世界を見るようだ。屋形舟に雪見酒としゃれ、冬を味わう。静寂に冴え渡る船頭さんのげいび追分が心に懐かしい。 |
猊鼻渓観光の功労者
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猊鼻渓の由来
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佐藤猊巌(さとうげいがん)
文久2年(1862)長坂に生まれ、漢学・詩文に長じた父の指導で幼い頃から経書を学びました。盛岡の師範学校を1年で卒業し、24歳で宮城県鮎川小学校校長に抜擢されます。明治42年には長坂村長に、大正4年には郡議会議員になりました。不撓不屈の熱血漢である反面、情に厚く上下の隔たりなく大勢と親好しました。また、中央詩壇にも名を知られました。
数々の功績の中でも、特に猊鼻渓の開拓は第1に挙げられます。当時、辺境の地にあってほとんど知られていなかった猊鼻渓を優れた漢詩をもって世に紹介しました。そのために投じた私財は、計り知れないものだったといいます。洞潭(どうたん)・猊厳父子の努力のかいあって、大正14年、猊鼻渓は国の名勝指定を受けました。 |
明治43年8月「芦東山」135回忌「郷祭」を当地で行われた際、佐藤猊巌先生、他参加者会議の上「猊鼻渓」と命名される。
大正14年10月8日
国の史蹟名勝天然記念物に指定
名勝指定県内第一号
昭和2年6月
東京日日、大阪毎日新聞社主催の日本新百景選定の17位日本百景に入選 |
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猊鼻追分の創始者
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猊鼻追分
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鈴木朗月(すずきろうげつ)
明治十四年長坂字北山谷生まれ。名を量平、号を朗月といいます。
24歳で北海道に渡り、19年間江差追分の大御所菊池為七郎に師事し、高弟として道内を指導し廻る。
江差追分はもちろんのこと他の民謡、尺八をも習得し帰郷ののち江差追分の道場を開く。
猊鼻渓に訪れる観光客に何か心に残るお土産にと弟である鈴木秀峰氏の作詞協力と併せて名曲「猊鼻追分」が完成しました。
以来名勝猊鼻渓の情緒に合った舟唄として名物になっております。 |
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猊鼻渓内
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藤岩
春には自然の山藤が咲き
名前が付けられている |
壮夫岩少婦岩
二つあわせて夫婦岩
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獅子ヶ鼻
猊鼻渓の名前の由来になった |
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うん玉を投げる穴
穴に入れば願い事がかなう!?
という・・・ |
うん玉
5ヶで100円。
さあ貴方もチャレンジ |
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一関商工会議所東山支所のページも参考にしてください。
猊鼻渓をよりいっそう楽しむポイント
三好ヶ丘奥の大猊鼻岩付近にうん玉が5ヶ100円で販売している。
うん玉に願いを込めて投げて穴に入れば願いがかなう?という。
藤の花が有名ですが、その他にもさまざまな山野草など咲き自然を満喫できます。
川の中には・・・・魚たちがたくさんいます。ぜひえさを買って与えてみては・・・すごい、いきおいで食べますよ!!
冬・・・12月から2月まではこたつ舟で運航しているので、是非名物の木流し鍋を注文して食べながら楽しもう。
深緑・・・早朝には渓内に朝靄がかかり幻想的な雰囲気の中舟下りする。でも朝靄の時期は確定できない。
通年・・・やはり猊鼻渓の舟下りはのんびりゆったりなので、是非食べながら飲みながらがいいです。